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夏目漱石が授業で "I love you" を「月がきれいですね」と訳した、という逸話について。

「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証

上の検証では 1977 年が最も古い文献で、これを根拠に「都市伝説である」「戦後の創作である」と結論しているサイトがけっこうあるのだが、少し調べてみると、ニコニコ大百科のコメントに 1935 年の文献を見つけた人がいた。

斯ういふ意味を外國人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いゝ月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の飜譯になるのだと。
沙漠の国: ペルシア・アラビア・トルコ遍歴 - 笠間杲雄 - Google ブックス

漱石は 1903 年から 1907 年まで東京帝大で英文学を教えている。笠間杲雄は 1909 年に同大学を卒業しており、学部が違うとはいえ漱石の授業を受けた可能性は十分にある。

さらに網羅的に調べている人がいた。リンク先が国会図書館デジタルコレクションであることからしても、ちゃんと調べた感がすごい。

「月が綺麗ですね」の歴史

1927 年の文献に「良イお月デスネー」と訳す話があるらしい。また、 1900 年代に漱石ともかかわりのある何人かが "I love you" に対応する日本語がない、というようなことを書いているらしい。漱石自身も "I love you" という表現についてメモを残していて、それが書かれた時期は 1901, 1902 年と発見された中では一番早い (もちろん出版された文章とメモ書きの時差はあるが)。そして漱石が教鞭を取るのはその 1, 2 年後である。

調べた人は「訳文は昔からあって、戦後に漱石と結びついたのでは」という結論ぽいが、時系列を整理してみると、漱石が大学で教えていたわずか数年間と諸々の時期がよく一致している。

証拠といえるレベルではないが、都市伝説というほど荒唐無稽な感じでもない。

ちょっとここで注意しておきたいのは、例の逸話は「漱石が授業でこの訳を提示した」というだけで、「漱石がこの訳を考えた」という話ではないことだ。

漱石を初めて出典とした作家の豊田有恒は、漱石の授業を受けた人々と直接交流を持てた世代である。弱い根拠の一つとして挙げてもよい程度の情報源ではあると思う。不自然な点はそれ以前に漱石を出典としている文献がないことだが、先に書いたように逸話上、漱石は自分が作った訳文だとは言っていない。生徒がこれを一般的に知られている訳文だと受けとったなら、著書で紹介するときに「漱石に教わった」といちいち書くだろうか。後世の第三者が当事者から聞くことで、初めて逸話として成立するのではないか。

ここからは私の主観だが、もし戦後の都市伝説的な創作、つまり漱石の名を借りた悪戯だとしたら、「漱石がその言葉で告白した」という形にすると思う。あえて「授業で教えた」という弱い形にする意味がない。

もちろん「漱石が教えた」の部分が意図的でない伝言ゲームでの尾びれの可能性はある。ただ、これが戦後についた根も葉もない尾びれだとするなら、適当な有名人はいくらでもいる。自然発生的についた尾びれとしては少し出来が良すぎる感じもする。