てがみ: qatacri at protonmail.com | 統計 | 2025

202509700

物理とかに慣れていると、全人類…とまではいかなくても、あらゆる学問は背後にある統一的・普遍的な原理/法則を追い求めていると勘違いしがちである。いや、主語が大きいのはよくないな。私はそう思っていた。でもそれは興味の方向性の一つでしかない。

それに初めて気づいたのは、ある社会学者のインタビュー記事を読んだときだ。研究としての建前は別にして、その研究者の本能的な興味は個々の事象そのものにあり、そこから普遍的なものを取りだす部分にはない感じがした。

勝手な想像だが、動植物の分類学者なんかも似たような感じではないかと思う。私はわりと植物が好きで、登山するたびに「もっと植物の分類を知りたいな~」と思って本を読んでみたりするのだが、さっぱり頭に入ってこない。植物の特徴というのは進化の系統樹と必ずしも対応しておらず、個々の種にバラバラにあらわれることも多い。これはこれで興味深い現象 (収斂進化の一種?) かもしれないが、正直なところ私はこれを知って「面倒くさいな」と思ったし、分類を覚えようという気も失せてしまった。でも、植物の分類に詳しい人はこの乱雑さをむしろ個性として楽しんでいるようにみえる。