「井の中の蛙大海を知らず」は荘子由来のことわざだが、たまに見かける「されど空の深さを知る」が勝手に付け加えられたのは日本に入ってきてからで、しかもかなり新しいらしい。
内容や勝手に付け加える是非はさておき、私はこの追加部分の情景がけっこう好きだ。井戸の底にいるカエルが空を眺めながら思索にふける映像が浮かんでくる。自分も実際に井戸の底から空を眺めてみたい、という気持ちになる。
井の中の蛙は空を見上げて地球についてどれくらいのことを知るだろうか。本州での太陽高度は最大で 80 deg 程度。井戸の底まで太陽の直接光は届かず、蛙が太陽を直接見ることはない。黄道上を動く月や惑星も同様に直接見ることはできない。
ただ、井戸の上部には直接光が当たる。影の形から、空に局所的に明るい部分があることや、それがどう動いているかは推定できる。そのためにはまず光が直進することを理解する必要があるが、これは井戸底での実験でも確認できるだろう。月は満ち欠けがあってにややこしいが、同様に存在と動き方は観測できる。明るさの変化もおおまかには測定できるだろう。惑星の存在に気づくことはない。恒星の存在と動き方は部分的に分かる。
これらの観測事実から太陽・月・恒星の位置と月の明るさを予測できるモデルを作るのは、過去の偉大な科学者レベルの蛙ならたぶん難しくない。ただしそのモデルは天動説に基づくだろう。幸か不幸か、惑星がなければ天動説と地動説にほとんど違いは出ない。
ここまで向上した蛙の科学水準だが、まだ地球が丸いことを理解していない。といってもここまでくれば、影の厳密測定などから太陽の投影形状が円く、月が太陽の光を反射する球状の物体であるという予想にも辿りついているだろう。そうなれば地球球体仮説も登場しているに違いない。さて、井の底から地球が丸いことを証明する方法はあるだろうか。
地球上のある一点からしか観測できないという制約は厳しいが、たとえば月食は地球の影であり、地球球体説の証拠になりうる (偉そうに書いているが、自分では思いつかなかったので検索した)。先述のように井の底からは月を直接観測できないので、理論が先行する形で太陽系のモデルを作り、詳細な観測データと照らし合わせるという作業になるだろう。