てがみ: qatacri at protonmail.com | 統計 | 2025

202513900

研究者がインタビューなどで「この研究は我々の生活にどのように役立ちますか」と訊かれてげんなりする、という話はよくある。でも、この質問の意図って必ずしも字面通りの意味ではないと思うのだよな。

たとえば物理学者が数学の研究の話を聞いたとき、「この研究は自分の研究に応用できないか = 役に立つか」という視点は持っているだろう。それは当然ながら、自分の研究に役立たなければ無価値だと考えているわけではなく、自分の研究との接点があれば知りたいという話である。

最初のインタビューも同じことだ。「我々の生活に役立ちますか」というのは、自分や読者との接点を探している素朴な質問かもしれない。これを「質問者は役立たないことに価値を見出せない」と捉えてしまうのは、先読みしすぎに思える。

現代において「役に立たないことに熱中する」というのは十分に市民権を得ていて、珍しいことでも何でもない。この質問に構えすぎではないかなあ。もちろん、税金が投入されているのだから云々みたいな話はあるけれど、最初からそんなに堅苦しい意図を仮定する必要はないと思う。