ここ 30 年くらいの工業製品にレトロ的価値が出ることはあるだろうか、とたまに考える。もっと昔、たとえば機械式時計であれば、機械式という枠組みの中で極められた機能美がある。アナログレコードは最近ちょっとしたブームになっているらしい。
時間を進めて 30 年前、 1995 年以降になると、その時々でエポックメイキングな製品はあるにせよ、現代の製品と連続に繋がりすぎていて価値が見出しづらい。「Pentium 200 MHz にしか出せない魅力があるんだよ」とはかなかならない。まだ日が浅いからそう感じるのだろうか。しかし機械式時計やアナログレコードは、当時から現在に至るまで途切れることなく愛好者がいるような気がする。
もちろん自分が価値を見いだせていないだけ、という可能性はある。たとえば私の実家の外装はトタンで、当時は「昔ながらの木造建築なら古くなっても良さが出てくるのに、中途半端な代物だなあ」と思っていた。でも、古いトタン建築に良さを見出している人がいて、
トタン建築は懐古と前衛を内包するアートだ!築古物件探索記(1) | MAD City:松戸よりDIYと暮らし、物件情報を発信
言われてみれば時代を感じさせる風格があると気づかされたりした (正直なところ、住みたくなるような良さではないが)。
他の例として、黎明期のデジカメの画質の悪さにレトロさを見出す、という話がある。銀塩フィルムの良さは分かるにしても、デジカメのガビガビ画質に価値を見出すことは考えもしなかった。
オールドコンデジ - Google Search
1996年のデジカメには平成初期の景色が写る :: デイリーポータルZ
これも言われてみるとなかなかおもしろい。
ここまで書いてきて思ったのは、「レトロ的価値はノスタルジーと独立になって初めて確立する」ということだ。ノスタルジーは個人の経験による価値だが、 (和製英語として) レトロと呼ばれるものは、語源に反して物そのものの価値である。私がレトロな建築に魅力を感じたとき、それは過去の思い出によるものでも、歴史的背景によるものでもない。
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