「運も実力のうち」という言葉を私は「結果は偶発的要素にも左右される」くらいの意味に捉えていた。これを「実力があればサイコロの出目も変えられる」という意味で使っている人もいると気づいた。言葉の本来の意味がどちらかはともかく、後者は単なるオカルトである。
単純に科学的でないという以上に、社会的? 倫理的? …言葉がよく分からないけれど、そういう面でも問題のある考え方に思える。どんなに才能ある努力家にも私みたいなカスにも、不慮の事故やある種の病気は平等に降りかかる。「実力があればサイコロの出目も変えられる」と考えることは、自然災害で被害にあった人に「あなたの日頃の行いが悪いからそうなったのだ」と発言することと本質的に近い。
おおげさだと思われるかもしれないけれど、このような考えは公正世界信念と呼ばれていて、実際に被害者非難などと結びついているという研究結果がある (名前が付いていて、よく研究されていると知ったのはわりと最近)。他の偏見や差別と同様、なくすように努力すべき考えだと個人的には思う。残念ながら、子どもに公正世界信念に基づいた童話の読み聞かせが普通に行われていることを考えると、あまり問題として認識されていない気がする。
…というようなことを、雀魂をプレイしていてふと思い出した。麻雀は運の要素がとても大きい。プロ vs 素人×3 の勝負でも平均順位 2.0 程度だとか。だからこそ絵合わせレベルの私も楽しめるのだけれど。役が分からないので、白發中のいずれか三つ揃わないとポンできない。