自然災害が起こったり感染症が流行したとき、活断層やウイルスに怒りをぶつける人はあまり見かけない。銅像が倒されることはあっても、断層の模型やウイルスの顕微鏡写真がボコボコにされたという話は聞かない。怒りは人にぶつけるようにできているのだと感心する。
もちろん活断層やウイルスに怒りをぶつけるのは筋違いだけれど、そもそも怒りという感情に合理性なんてあまりない1。そこは冷静なの? という驚きがある。結果として怒りの矛先が関係ない人々に向かうことも多いので、冷静とは違うかもしれないけれど。
種が存続する上で何らかの役割を果たしてきた機能だと思うので、そういう意味での合理性はたぶんある。
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