てがみ: qatacri at protonmail.com | 統計 | 2020

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202025701 4 行は無理にしても、教科書を一冊全部…読んだことはたぶんないので、 1/2 くらいの内容を再構成でき、応用の利く内容であれば具体的に計算できる程度に理解したとして、頭の中に知識として記憶している分量は 4 ページより少ない気がするのだよな。

ではその他の部分から何を吸収しているかというと、その領域のモノの見方や理論のイメージという、なんとも非論理的なものだったりする。しかもそのイメージは高々 3 + 1 次元に強引に射影された曖昧で怪しげなもので、どこまで正しいか分からない。実際、形式的に計算して出てくる結果が想像からかけ離れている例は枚挙にいとまがない。私の貧弱なイメージなんか有害な可能性の方が高い気がするけれど、では全くイメージを作らずに理解できるかというと、それはそれで無謀というか想像がつかない。

詳しくないが、定理の自動証明器はある意味でかなり昔に完成していると聞く。問題を形式化して、探索により公理から推論規則を適用して証明を得るシステムはできているという意味だと思う。そのシステムが大部分の領域で数学者にかなわないのは、形式化が大変というのもあるだろうけれど、人がイメージという謎なものを用いて強烈な枝刈りを行っているからのはず。

イメージってなんなんだ。謎。