てがみ: qatacri at protonmail.com | 統計 | 2020

202030400

文章を書いていると日本語が分からなくなってきて、もしかしたら自分以外はこの文の意味を取れないのではないかと心配になってくる。説明の良し悪しではなく、文法的なものがおかしくて伝わらないのではないか不安になる。日本語の文法を学んだことがないから判断できなくて無限に悩んでしまう。もちろん自然言語の文法はあとから解析されたもの。ネイティブ話者なんだから俺に文法がついてこい、くらいの気持ちで大丈夫なはずなのだけれど。

この文章の最初の一文だけでもたくさん悩むところがある。「もしか(したら|すると)自分以外(は|が|に|には)この文の意味(が|を)取れないのではないか(|と)心配」…といった具合。さらに実はこの文章、最初は「この『文は』自分以外意味を取れない」だった。主語や目的語ってこんなにふらつくものなの? もう何がなんだか分からない。それ以外に「~なのではないか」という言い回しがまわりくどく感じられるのも気になる。でも他の表現が分からない。

文法的に問題なさそうで、受ける印象もそれほど変わらない複数の表現にも迷う。直近の文を例に挙げると「まわりくどく感じる」「まわりくどいと感じる」「まわりくどい感じがする」「まわりくどさを感じる」など。

もうだめだ。このページに駄文を書き始めた理由の一つは、文章を書く練習をしたかったからだが、書けば書くほどドツボにはまっていく。ああ今の文もよく迷うパターンだ。「書き始めた理由の一つに、~という理由があった」と「理由」を重ねてしまいそうになるけれど、これの適切な解消法が分からない。「あったのだけれど」「あったけれど」は何が違うんだ。助けて…。