どうも使い分けられる文体や口調が少ない気がする。使い分けるといっても、小説家が意図的に文体を変えたり、声優が多彩な口調を使い分けたりといったテクニカルな話ではない。メールやチャットなどで、リアルタイム性などサービスの性質に応じて文の長さを使い分けたり、相手との間柄に応じてくだけた口調を使ったり、地元の人との会話で方言を使ったり、といった無意識に行っている (であろう) ことである。
私ももちろん状況によって文体・口調は変わっていると思うけれど、本質的には「ですます調」とそうでないもの、の二つしか使い分けていないような気がする1。話し言葉も「推敲されていない書き言葉」に近いのではないかと思うことがある。話し言葉に最適化してもう少し文を短く切った方が分かりやすいと思うのだが、なかなかリアルタイムに実践するのが難しい。
高校まで同じ地域に住んでいて両親も地元の人間にもかかわらず、子どものときから方言をあまり話さなかった…らしい2。自覚はまったくないのだけれど、同じ地域にある中学に上がったときに地元出身だと思われていなかったとか、そういうエピソードがいくつかある。この理由が長らく謎だった。テレビなどで聞く言葉と地元の人が使う言葉を、状況によって自然に使い分ける能力が低いのだと今は思っている。
尊敬語・謙譲語とは別。ここでは文体・口調と直交しているものと考える。
訛っていないとは考えにくいので、標準語でも地元の方言でもない謎のイントネーションで話していたのではないかと思われる。