「校長先生の話」は長話の代名詞になっている。しかし今考えると、校長先生も単に指定された尺に合わせて話していただけのような気がする。
Web で検索してみると、校長先生の話を書き起こした文章がいくつか引っかかる。完全に忘れていたけれど、どうも小学校では週一回の頻度で朝礼と校長先生の話があるらしい。たとえ芸人でも同じ聴衆相手に週一で興味を惹く話を続けるのは難しいだろう。校長先生の話がつまらなくなるのは必然である。
とはいえ書き起こされた文章を読んでみると、押しつけがましい教訓話、薄っぺらい薀蓄など、つまらないを通り越してイラっとするスピーチの煮凝りという感じがする。これらの話にはどうも元ネタがあるらしい。「校長講話」で検索すると書籍がたくさん引っかかる。
1年間毎週使える校長講話 (教育開発研究所): 2021|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
タイトルからして話のネタに困っている感がすごい。校長先生も「校長先生の長話」に悩んでいた。じゃあ無くせよとは思うが、よく言われる「年寄りの長話」とは違う現象にみえる。年寄りの長話はもっと面白い。