てがみ: qatacri at protonmail.com | 統計 | 2021

202135601

好きな小説家が日記を書いていて、ファンなので当然読むわけだけれど、最近「これはちょっと作者に近づきすぎかな」と感じることがある。内容は面白いし人柄も好きなのだけれど、作者の情報が増えすぎて作品を純粋に楽しめなくなるかもしれない、という不安が頭をよぎる。

人と、その人が創り出すものの独立性は分野によって大きく違う。科学技術なんかは独立性が高くて、学者の人格がどうであろうと、その人の創った理論には影響がない。 H*ns R*iser が人殺しでも reiserfs そのものの価値が下がるわけではない (開発は滞るし一緒に開発したくはないけれど)。小説も理想的には作者と独立に評価されるべきとはいえ、現実的にはなかなか難しい。

ただ、独立性が高いということは、創作物に創作者固有の要素が残らない、ということでもある。アインシュタインの一般相対論は、アインシュタインがいなくてもいずれ誰かが必ず創り出す理論である。誰が創り出そうと内容は同じで、せいぜい表記法くらいしか違いはない。その普遍性こそが自然科学なのだけれど、見方によっては残酷なことだと思う (まあ物理の基礎方程式は極端な例で、実際には個性の強い理論もたくさんある)。

物理の方程式や数学の定理は発見者の名前で呼ばれているものが多い。これはその残酷さの影響なのかな、と思ったりする。