最近「文章の細かな構造を整理することは、必ずしも読みやすさや分かりやすさに繋がらない」ということを思う。勝手に使って申しわけないが、 202416000 で引用した文章を例に挙げる。
以上述べたようにサイエンスとしては、この記事の冒頭での疑問、すなわち、「細菌は冷凍保存により死滅するのか、あるいは死なないのか?」という問いに関しては、「冷凍により細胞損傷が起き死滅する」と答えるのが正しい。ただし、食品衛生上の実用的な観点からの回答としては、「冷凍には殺菌効果はない」という解答 も正しい。むしろ後者の理解の方が現実的には正解と言える。なぜだろうか?
この文章をもし私が書いたとしたら、推敲の段階で次のように直してしまうと思う。
以上述べたようにサイエンスとして、「細菌は冷凍により死滅するか?」の答えは「細胞損傷が起き死滅する」である。一方で食品衛生上の実用的な観点から、「冷凍に殺菌効果はない」という回答も正しい。なぜだろうか?
あるいは、次のようにばっさり簡略化してしまうかもしれない。
以上の通り、細菌は冷凍により細胞損傷を起こして死滅する。ただし食品衛生上、冷凍に殺菌効果はほとんどない。なぜなら、……
情報量はほぼ変わらず、文章構造はシンプルになり、文字数も 1/3 くらいになった。果たして文章として良くなっただろうか。理解しやすくなっただろうか。私は元の文章の方が好きだし、言いたいことが伝わるように思う。適度に口語的なテンポがあり、読んでいて楽しい。
考えてみれば当たり前のことだ。私たちは普段、文章に起こそうものなら読むに堪えない冗長で壊れた日本語を話し、問題なく意思疎通できている。むしろ事前に推敲された文章をアナウンサーが読み上げている方が聞き流してしまいやすい。