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2022年版日本建築行政会議「車両を利用した工作物」 | 日本トレーラーハウス協会
金属による本格的な歯車って紀元前からあるんだ。機械式時計が 1300 年ごろ、蒸気機関が 1700 年ごろということを考えると、相当早い感じがする。
目先のことから目を逸らす能力だけが高くなっていく。
「雨の音」として認識しているものは、雨が地面や建物に当たる音である。仮に衝突する物がなかったとして、知覚できるレベルの音はしていないんだろうか。
雨粒の落下速度や密度は状況によって大きく異なるが、たとえば 30 km/h, 100 /m^3 とからしい。
"out of ..." を「... の外」と理解していると、意味を正反対に取り違えてしまうことがある。たとえば "the best out of those" は「それらの中でのベスト」であり、「それら以外でのベスト」ではない。 "out of curiosity" は「好奇心から」であり「好奇心の外」ではない。
これらの例をみていると「... から出てくる」みたいなイメージかと納得しかけるのだが、それはそれで意味が逆になるときもある。難しい。
Rust の CamelCase + snake_case というスタイルの組み合わせはちょっと変則的にみえる。どういういきさつで決まったんだろう。
Game Audio : Deep Dives - Monument Valley 3 - Navigation Pings - YouTube
エンジンオイルは「* km または 1 年」で交換せよとマニュアルに書いてある。この「または 1 年」が謎である。酸化するといった理由であれば、 1 年前に開封した未使用オイルも劣化しそうなものだが、それは問題ないらしい。
Google 検索の結果は、少し専門的 (?) な単語であれば意外なほど SEO スパム汚染されていなかったりする。たとえば「固有値」で検索すると、
誘導サイトが 1 つ引っかかっている以外は概ねまともな結果が返ってくる。スパムサイトが存在しないのかと思いきや、 Bing だとまあまあ酷いサイトが上位にくる。
なんだかんだで Google は「圧倒的にマシ」である。
ただ、スパム汚染の酷くない検索ワードで Google に問題がないかというとそうでもない。最近は小規模なサイトがそもそもインデックスされなくなっていて、情報が存在するのに検索結果に出てこないことが増えている。クロール負荷の問題なのか、ランキングアルゴリズムの計算量の問題なのか、スパムサイト誤判定なのか。
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花粉が収まったので今から春。地面から春が噴出している。
閉所が苦手なので部屋を無限に広くしたくなる。主観的な広さが必要なだけで、物理的な広さは布団と机が置ければいいのだが。
何もしていないのに身体が柔らかくなっていることに気づいた。前屈で余裕をもって指先が床につく。しかしこれ、何もしていないから筋肉量が減っているだけ疑惑がある (そういうことがあるかは知らない)。
エビデンスは重要だと思うが、「エビデンスベースドなんとか」はけっこうな確率でうさんくさい。
そもそもエビデンス云々が議論になる分野というのは、数値化が難しかったり、実験できなかったり、間接的にしか測定できなかったり、バイアスが取り除けなかったりするからそういう状況なわけだ。それをいいことに怪しげな理論がのさばっているのはアレだが、そこにおいそれと科学的手法を持ち込んで明確な答えが得られる可能性もまた低い。
その結果どうなるかというと、誠実な研究ほど白黒のつかない結果を出し、いい加減な研究ほど「A するといい」といった安直な結果を出してくる。
たまに探査機ボイジャーになったところを想像する。
建築基準法で茶室がやたら特別扱いされているのは何なんだ。
「AI による高品質な論文要約」と称して、アブストラクトをそのまま表示するサービスを作りたい。
しかし (人間が書いた) 論文のアブストラクトって、たしかに役目をうまく果たしていない感はある。アブストラクトを読んで概要が把握できた覚えがない。そもそも論文自体が相当に要約されたもので、それ以上縮めても理解できないだけの話ではあるが。
二郎系と呼ばれる食べ物にデビューし、翌日の胃の状態を鑑みて引退を決意した。
もし母語が英語だったら、時間をかけて他の言語を学んでみようとは思わなかった可能性が高い (ちょっとつまんでみるくらいはしたかもしれないが)。ラッキーだったと思う。
「頭がいい」というフレーズが否定的な文脈で使われることはままある。「将棋が強い」とか「絵が描ける」とか「テニスがうまい」とかが素朴に能力を褒める以外の文脈で使われることはめったにない。なぜか。
まあでも、具体的に「数学ができる」「歴史に詳しい」となればネガティブな文脈で使われることは少ないか。「筋力だけはあるスポーツ選手」が褒め言葉でないのと同じ構造なのかな。
202502300 の結果からは、小規模で自分でずれを直せるなら基礎に固定しない方が良さそうに思えるが、残念ながら強風でずるずると動いてしまう。ざっくり風速 40 m/s で断面積あたりの力は 100 kgf/m^2, 木とコンクリートの摩擦係数は 0.6 くらい。古民家のように重量があって面積の広い平屋なら問題ないだろうが、小屋に毛の生えた程度の建築物ではかなり足りない。
ちなみに中途半端に固定すると今度は横転の可能性がある。地震に対しては軽い方が有利だが、強風に対しては軽さや小規模さが仇になる。
「建前」はもともと建築用語らしい。クイズとして出されたら知らなくても正答できそうだが、今まで考えたことがなかった。
木造建築の壁量や偏心率の基準を知ったあとに角がガラス張りのビルを見ると、「鉄筋コンクリートすご」と思う。
さまざまな建築材の寸法はがっつり尺貫法を基準に作られている。ヤード・ポンド法を揶揄するあなたも尺貫法で作られた建物に住んでいる。
1.6: Diffuse Reflection - the Lommel-Seeliger Law - Physics LibreTexts
クローズドになりつつあるインターネットを見ていて最近よく思うこと。昔からある「コネのある人だけがアクセスできる情報」みたいなものは、必ずしも情報を独占したいとか一部の人の特権にしたいとかではなく、「多数の人が殺到してバランスが崩壊するのを避けるための苦肉の策」という面があったのだな。
実際のところ人を絞るシステムというのは大抵そうかもしれない。たとえば大学入試を実施する理由は第一に受けいれ可能人数に限界があるからで、受験に特化して点数が取れる人を採りたいわけではないだろう。考えうる方法の中で一番マシかもしれないが、苦肉の策ではある。
「おすすめ」機能はよくエコーチェンバー現象やらなんやらの原因になっていると言われる。でも本来レコメンデーションは自分の知らない、視界に入っていないものを提示する機能である。分断を和らげる方向になぜ働かないのか。
「小さな双眼鏡で粒々の分解した球状星団を肉眼視する」という微妙に非現実的な夢を見た。夢ならもっと振り切ってほしい。
ストリングスとしてではない、単体の弦楽器がもっとクラシック以外で使われるといいと思っている。バックグラウンドのストリングスももちろん素晴らしいのだが、(異論を承知のうえで書けば) 弦楽器の表現力を殺している面もある。
物理モデリング音源があともう一息よくなれば…いや、どちらかというと入力の問題なのかな。弓につける張力センサみたいなものがあればいいんだろうか。
wallstat でシミュレーションしてみると、基礎に固定しない方が圧倒的に地震に強い。
素朴に在来工法の柱を伸ばして石場建てにすると足部分が弱点になる。これはそれほど自明でないと思うのだが (そうでもない?)、伝統工法では「足固め」と呼ばれる横木を設けるらしい。よくできている。
Backlinks: [202502700]
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国立研究開発法人 建築研究所 -- Building Research Institute --
国立研究開発法人 建築研究所 -- Building Research Institute --
熊本地震と能登半島地震の建築物被害報告。 1981-, 1981+, 2000+ 耐震基準の倒壊率データがある。
フライパンで何かを焼くとき、「蓋をする」というのは加熱に関してどれくらい効果があるんだろう。肉や魚を焼いていて、蓋をしたら上面にも火が入っていたという経験はないような。
壁量に限らず偏心率が 0.3 以下という基準は不思議な感じがする。
wallstat で遊ぶ。右も左も分からない (とくに接合部) が、平屋なら気をつけるのは偏心率くらいで、添付の地震データには問題なく耐える。でも同時に、建物の固有振動数と地震の振動数が一致してしまったら、どう頑張っても倒壊しそうな気がする (注: 気がするだけで試してはいない)。減衰係数の大きいパーツが存在しないような。
人力起振実験による木造住宅の固有振動数に関する研究
9.1 地震計の原理
そして木造住宅の固有振動数と地震の振動数は被っているようにみえる。
人の声でも音楽でも環境音でもない音を欲するときがある。
少なく見積もっても 1 M 歩 / 年 くらいは歩いている。 Boston Dynamics もびっくりの低転倒確率である (変色した打撲箇所を眺めながら)。
水面の反射率は偏光の向きによって異なるので、「水面には違うものが写る物体」が作れる。
針の穴に糸を通しながら、「これを困難なことの比喩にするのはどうなんだろう」と思う。針の穴は糸を通すために作られている。
痛い部分があると、「こんなときにこんな部分に力を入れているんだ」と分かって面白いが痛い。
転んで肩からアスファルトに突っ込んだ。痛い。
よく使われている BRDF 物理モデルが、実際の材質の構造をどれくらい模しているかは怪しい。紙一つとっても実際の構造はたぶん dielectric fiber なわけで、 CG でよく使われるモデルの仮定とは乖離がある。
それが悪いという意味ではない。ある物理モデルから出発しつつ、その仮定を超えた材質まである程度フィッティングできる empirical なモデルとして機能している、というのが今の私の理解。
OpenPBR の議論を見る (といっても議論自体は Slack で行われていてそれは見られない。 GtiHub に投稿されているまとめ的なものを見ただけ)。 Disney BRDF v2 として妥当な感じのする一方で、 Surface BXDF はまだ mature なものを標準化するという段階にはない感じもする。
「ええ子盛衰」: 優等生的な子がグレたりすること。
Announcing Rust 1.86.0 | Rust Blog
ヒトの眼の F 値はどれくらいか。
どこが理想レンズ中心に相当するのか不明ながら、焦点距離はざっくり 20 mm くらいか。瞳孔径は明るさによって変わるが、個人差もけっこうあるらしい。 2 mm .. 7 mm として、 F3 .. F10 に相当する。意外とカメラのレンズに近い。
4.2 billion people live inside this circle. 3.8 billion live outside it.
202501401 細かいことをいうと、太平洋切れ目の世界地図には (0) 経度 0 を中心にしたものと (1) 大陸が切れ目から外れるようにしたもの、の二つあるっぽい。
「世界地図は各国が真ん中に位置するものを使っている」という話をたまに聞く。これが事実なのかよく分からない。北を上として、経度方向の切れ目を大西洋に置いたものと、太平洋に置いたものの二つが使われているのは間違いない。その二つ以外をメインに使っている国はあるんだろうか。
ちなみに、オーストラリアで南を上にした地図が使われているというのはガセというかジョークらしい。さらにいうと、ヨーロッパと同じ太平洋切れ目の世界地図の方が主流らしい。ええそうなの? そうなると、大西洋切れ目の地図を使っている国は予想以上に少数かもしれない。英語が公用語のフィリピンとかどっちが主流なんだろう。
もっといえば経度線で開く必要もないが、この向きは天文学的に意味がある。実用上も時差と関係しているわけで、一般的に使われることはないか。
余談ながら、海が主役のときは
こんな地図を使っていた。
Backlinks: [202501402]
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夜中に寝ぼけ眼で「タッ、タッ、タッ」という音を聞いて、「いつも時計の秒針ってこんなに響いていたかな」と思った。水道の蛇口が閉まっていなかっただけだった。そもそもアナログ時計はこの部屋に存在しない。
音色も秒針の機械音とはあまり似ていないのだが、ちょうど一秒に一回くらいの周期だと一瞬錯覚する。ヒトはいろいろな情報を組み合わせて音を認識しているのだなあ。
「絵を描くスキルはないけれど、もし描けたらやりたいことがある」とか、「プログラムを書くスキルはないけれど、もし書けたらやりたいことがある」という人はたくさんいるのだな。
これも一つの才能ではないだろうか。自分にないスキルを仮定して、その応用でやりたいことを具体的に思い描くのはそれほど簡単ではない。自分に一番欠けている部分かもしれないとも思う。
睡眠時間を削るのが健康に良くないのはそうだとして、死ぬまでの総活動時間は睡眠時間を削ったほうが長そうではある。まあ私は寝るけれど。
いつまで経っても定期的に基礎的な計算で穴にはまる (はまっている)。
Web が少しクローズドな方にシフトしているように、プログラムのソースコードもクローズド側にシフトするのではないかと思うことがある。
ギターだとコードトーンのつながりが悪くてもあまり気にならないのは何故だろう。たとえば IIm7 IIIm7 VIm7 を全部並行にスライドさせて弾いても他の楽器ほど違和感がない。間に長めのミュートが入るからか。つまり下手くそだからというだけの可能性がある。
専門的な内容を一般向けに解説した書籍って、自分がよく知っている分野のをちら見すると「読者が素人だからって内容を誇張しすぎではないか。もっと地に足のついた説明をした方がよいのでは」などと微妙な感想を持つことが多いが、あまり知らない分野のを読むと「ほえー。面白いなー」と素直に感心してしまう (誠実に書いてあるのかもしれないが)。
Web で好きなコンテンツの一つは日記・雑記的なやつである。絶滅したと思われている節があるが、検索にかからないだけで細々と書いている人はけっこういる。これは最近気づいたことだ。
見つける方法はない。
「本音と建前を使い分けよ」という人をみるとたじろいでしまう。もちろん思ったことを全部そのまま口に出していいと思っているわけではないが。
お絵かきソフト「Aquamarine Painter」を作ってみた
平均の公理として適切なものはなんだろう。
f(x, x) = x
.f(y, x) = f(x, y)
.f(k x, k y) = k f(x, y)
.x < y ⇒ f(x, z) ≦ f(y, z)
.それっぽくはあるが、過不足ないか分からない。あと、スケール不変性はたとえば asinh((sinh(x) + sinh(y)) / 2)
みたいな関数では成り立たない。こういうのを許容したい場合もあるかもしれない。そもそも定数倍が定義されない場合もあるか。
Web にやたら冗長な文章がはびこっていることで、自分の文章が不必要に冗長になっていないか妙に気にしてしまう。
あの冗長な文章は滞在時間を引き伸ばして検索ランクを上げるためのテクニックである (たぶん)。「ネットでは四行以上は読まれない」とよく言われていたことを考えると、「いかがでしたか」まで読む人がたくさんいるのは意外でもある。
ザッカーバーグやよく分からん投資家の撤退後も VR HMD を作り続けるメーカーはあるだろうかと懸念していたが、それは杞憂になりつつある気がする。
ある領域のエキスパートでも、そのちょっと外の領域で初歩的な間違いを犯すことはよくある。だからといって「専門外のことについて発言するのは控えよう」となるのはおかしい。それは普通のことなのだから、初学者と同じ立ち位置でどんどん間違えて学んでいける雰囲気であってほしい。
202500600 こういうのって気づいた直後は興奮するが、一日経つと常識になる。
ただ、 x = 0
の真ん中が幾何平均なのは依然として直感的でないというか、少し意外な感じがする。
min(a, b)
と √(ab)
をつなげる mean はなんだろう。
間に調和平均を挟んで
lim[n→∞] [(a^-n + b^-n) / 2]^(-1/n) = min(a, b)
こうか。つまり、
f(a, b; x) = [(a^x + b^x) / 2]^(1/x)
で全ての平均はつながっている。きれいな関係だ。調べてみると、これはヘルダー平均というらしい。
Backlinks: [202500601]
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2017 年の本 (執筆時期はたぶん 2010 年くらい) を読んでいたら、物の値段の感覚が思った以上に今とずれていてびっくりした。相対的な高低もかなり変わっている。調べてみると、 2010 年あたりは消費者物価指数が極小値だった時期らしい。
Web では「〇〇は素人の自分でもできますか?」という質問に対して、「X やら Y やらがうんぬんかんぬんで素人がやるのは危険。プロに頼め」みたいなアドバイスが多いのに、家のセルフビルドに関しては「大丈夫。問題なくできるよ」みたいなページが多くて笑ってしまう。知識も技能も 0 から家を自力で建ててしまう人というのは、それくらい楽観的で失敗を楽しめる人ということなんだろう。
セルフビルドの話を読んでいると、「いずれ自分も家を作りそう」と思う。「いずれ」とか言っている時点でアレな気がするが。
しかし自分に向いている (もの作り) 部分とまったく向いていない部分 (土地購入) が両極端だ。やるとしたら土地選びも建築も一回失敗する前提でいきたいが、自分で手を動かす範囲外のところに後戻りの難しい要素がいくつかある。土地は確定させないと難しいかなあ。つまり「ここにずっと住みたい」という土地を見つけないと性格的にも決断できなそうだが、そんな未来は見えないな。
人が亡くなった時点で写真や日記が残っていることはたぶん多くて、でも曾祖父母世代の遺品が残っているという話はほとんど聞かない。 3 世代もすれば歴史の資料になり得るが、逆にいえば資料になるくらいめったに残らないということでもある。
現代だと例えば、自分のものをまとめた Web サイトを作って、「このサイトをずっと残してくれ」と言い遺して亡くなり、数か月後にはあっさりとサーバー料金延滞で消える、みたいなことはありそう。悲しい気もするし、それが健全だという気もする。
私たちは旅行に行ったとか何かの記念日だとか、そういう特別なときに写真を撮る。でも、たとえば数百年後に歴史の調査で写真が発見されたとして、資料として欲しいのは何の変哲もない日常の写真だと思う。
これは実際のところ、自分自身にとってもそうではないか。一生に一度しか行かない場所の写真はあっても、自宅の写真が一枚もない、ということは普通にあるわけだ。自分が N 年前に毎日どういう生活を送っていたか、たぶん忘れていることがたくさんある。
ということを考えていたのだが、私はそもそも自分の記録として写真を撮っていないな。
山奥に DIY で家を作っている人の動画を見た。土地を開墾することの大変さを知ると、「先祖代々の土地を守る」的な考えも少しだけ理解できる気がする。その土地は単なる区画ではなく、複数世代に渡って膨大な労力をかけて作られた作品なわけだ。
ヒトが物を持ち上げて静止しているとき、素朴な力学的意味でのエネルギー消費はないが、実際には筋肉がかなりのエネルギーを消費している。このメカニズムは単純ではなく、ちゃんと考えるには筋肉の構造に踏み込む必要がある (らしい)。
見方を変えて、モーターで駆動されるロボットのエネルギー消費はどうなっているだろうか。モーターの回転を力学的に止めると逆起電力が 0 になり、コイルを含めた回路の内部抵抗にすべての電圧がかかる。単純に電池をモーターに繋いでいるとき、回転を止めると電力消費はむしろ最大になる。
もちろんの実際のロボットは静止時に最大のエネルギーを消費するわけではない。電流に比例したトルクが発生するため、持ち上げた物を静止させるには、トルクが釣り合うところまで電圧を下げて制御することになる。
工学的な最適解がヒトの美的感覚と一致するとは限らないと思うが、個人的にはやはり装飾美より機能美に惹かれてしまうなあ。
しかし冷静にみると、高性能な工業製品はごちゃごちゃと複雑な構造をしていることの方が多い気はする。現代のコンピュータが美しいか? 局所的に美しい部分はある。全体としては汚物だ。
ジェット旅客機の主翼って昔はわりと直線的なデザインだったと思うのだけれど、ふと気づくと独特の機能美を感じる曲線的な形状になっている。