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【虫画像たっぷり】昆虫図鑑の世界 ~有隣堂しか知らない世界132~ - YouTube
昆虫たちの生き様をそのまま図鑑に載せる史上初の試みに成功! 制作者たちの図鑑愛と情熱が生み出した『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』|(株)Gakken広報公式
「奇跡」の昆虫図鑑ができるまで|昆虫学者、奇跡の図鑑を作る|丸山宗利 - 幻冬舎plus
ハトが巣を作っている。一回で運べる資材の量が茎一本くらい。大変な労力だと思いながら見ていたが、考えてみるとヒトだって同じようなものか。
夏に部屋の窓を全開にして「あつい~」と言っているような描写って、もう通用しなかったりするんだろうか。
寝ぼけ眼で聞くゴミ収集車の音によって励起される謎の感情がある。
なんか世の Web サイト、「記事を順番に読む」ということがどんどん難しくなっていないか。
電子工作が趣味の奴はアクアリウムを始めてもすぐ機材を改造しはじめるのでダメ - nomolkのブログ
タイトルでやられてしまった。
日本語の非機械学習構文チェッカーを作ったらどれくらい実用的なんだろう。自分の文章がどれくらい形式化された文法から逸脱しているか知りたい。
202509007 202509100 身体の夏モード化が完了した。
整数論の未解決問題でよく、「確率論的に見積もると、 N が十分大きいときに成り立っている可能性は高い」という話が書いてある。たとえば ↓ の「ヒューリスティックな正当化」の項。
こういうのって肯定的な状況証拠なの? 「確率は非常に低いはずなのに成り立っている」という方が必然性がありそう。
暑熱順化のチェック項目に入浴がある。もしかしてサウナをよく利用している人は熱中症になりにくかったりするんだろうか。
「自分と同じ人間を雇える権利」と Amazon Prime のどちらを選ぶか訊かれたら、 Amazon Prime を選ぶ。つまり自分の金銭的価値は 500 円/月未満である (そして実際には Amazon Prime にすら入っていない)。
まあこれは人にやってもらいたいことが特にないからなので、 500 円/月はさすがにちょっと安いかなあと思うが、どんなに高く見積もっても人ひとりが生活できる数字にならない。
こういうことを書くと自虐ネタと取られることがあるが、生活費分の価値がないと思っているのは本心だし誇張もない。ちょっとしたことで暴力をふるったりする人の価値は、良いところがあるにしても総合的にはほぼ負なわけで、非負なだけで十分に素晴らしい人間なのでは、と思っている。そういう意味でもべつに自虐ではない。
物理とかに慣れていると、全人類…とまではいかなくても、あらゆる学問は背後にある統一的・普遍的な原理/法則を追い求めていると勘違いしがちである。いや、主語が大きいのはよくないな。私はそう思っていた。でもそれは興味の方向性の一つでしかない。
それに初めて気づいたのは、ある社会学者のインタビュー記事を読んだときだ。研究としての建前は別にして、その研究者の本能的な興味は個々の事象そのものにあり、そこから普遍的なものを取りだす部分にはない感じがした。
勝手な想像だが、動植物の分類学者なんかも似たような感じではないかと思う。私はわりと植物が好きで、登山するたびに「もっと植物の分類を知りたいな~」と思って本を読んでみたりするのだが、さっぱり頭に入ってこない。植物の特徴というのは進化の系統樹と必ずしも対応しておらず、個々の種にバラバラにあらわれることも多い。これはこれで興味深い現象 (収斂進化の一種?) かもしれないが、正直なところ私はこれを知って「面倒くさいな」と思ったし、分類を覚えようという気も失せてしまった。でも、植物の分類に詳しい人はこの乱雑さをむしろ個性として楽しんでいるようにみえる。
「エンジニアは生成 AI に対する忌避感が少ない」みたいな主張を複数みかけた。これは新しいものに抵抗がないという肯定的な文脈で書かれていることが多いが、ちょっと違う側面もある気がする。
もちろんシンプルに忌避感がない人もいるだろうが、それは他の分野でも似たような割合ではないかと思う。「他の分野と比べて」忌避感が少ない理由は、私の印象では大きく二つある。
二つ目について補足する。 Transformer によって機械翻訳のレベルは一気に上がった。長い時間と労力をかけて英語を身につけた人は多いはずだが、それでも機械翻訳に対して忌避感を表した例は少ない。なぜか。それは多くの人にとって非母語を学ぶ理由が「言語そのものに対する興味」ではなく、「実用上のツールとして必要だから」だと思う。
もし全人類が翻訳家や言語学者だったら、この反応はまったく違っただろう。忌避感を持つ人の割合が少ないのは、対象そのものに強い興味を持っている人が少ないことの裏返しかもしれないわけだ。
従来、革新的な技術はその分野に対する深い理解や新しい視点を含んでいた。生成モデルには特定分野に対する理解がアーキテクチャに組みこまれていない。これは機械学習の技術として真に素晴らしいことだが、応用先の分野にとって嬉しくはない。生成モデルは日本語文法に対する洞察を何も与えてくれない。
別の表現をするなら、「イラストレーターは絵を描くことそのものに対して愛がある」からこそいろいろな感情が交錯するし、「コードを書くことそのものに対して愛のあるプログラマが少ない」からこそ否定的な割合が少ない、という側面があるのではなかろうか。
昔は「芸術家や学者の才能と変人性に相関を見出すのは偏見だろう」と思っていたのだが、最近は芸術家や学者の人間性がまともすぎて「せめて人間性くらい終わっていてくれよ」とか思っている (本気で悪態をついているわけではなく、世の中には多才な人がいるなあという話)。
似たようなものに、「イラストレーターの声がきれいすぎる」というのがある。
202509007 これ本当にあるんだ。
Backlinks: [202509802]
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まだ身体が夏になっていない。
Backlinks: [202509802, 202509100]
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昔話がつまらないとか夢の話がつまらないとかよく見かけるが、では何の話が面白いとされているのか気になるところではある。きれいなオチのついた芸人のトークと比べたらそれはつまらないだろうが、雑多な話題のなかで特別つまらないか? と問われると、むしろ面白い寄りのような。自分が生きていない時代の話とかもっと聞きたい。
まあただ、昔話や夢の話というのは聞き手と背景を共有しないので、そこを不足なく手短に説明する技量が必要なのかな、とは思う。
「ワカメを洗っている夢ばっかり見る」と話をする夢を見た。ワカメを洗っている夢を見た覚えはない。
202508903 「嗜好品」って食べ物以外には使わない単語っぽい。でも意味的にはドンピシャだ。
機械式時計が嗜好品として現代でも流通するなら、アナログ回路オンリーの電子機器も嗜好品として復活しないかな。アナログテレビのように高度なアナログ回路がみたい。
Backlinks: [202508904]
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ウルル (オーストラリアにある有名な岩) の下ってこんな風になっているんだ。
File:Schema Kata Tjuta Uluru.png - Wikimedia Commons
PC にも吸気フィルタを付けてほしい。とくにノート PC.
行動遺伝学で使われる双生児法の説明だと、 A, C, E 間の相関はないとして扱っているように読める。これは一般向けの説明で簡略化されているのか、実際に独立性を仮定しているんだろうか。そもそも A, C, E 自体が双生児法で定義される抽象的な量だと理解すべきか。
いずれにせよ独立性を仮定しているなら、おそらく A は生物学的な遺伝由来の相関より高く出ているし、 C は素朴に想定する家庭環境由来の相関より低く出ている。
Navier-Stokes 方程式について。
Tao: And in fact, in recent years, the consensus has drifted towards the belief that, in fact, for certain very special initial configurations of, say, water, that singularities can form, but people have not yet been able to actually establish this. ...
Fridman: Why is it difficult to prove general things about the set of equations like it not not blowing up?
Tao: Short answer is Maxwell’s Demon. ...
Tao: ... And then you have computers which are made completely out of water. And if you have computers, then maybe you can do robotics, so hydraulics and so forth. And so you could create some machine which is basically a fluid analog, what’s called a von Neumann machine.
... So, if you could build a fluid machine, which yeah, so it’s a fluid robot. And what it would do, its purpose in life, it’s programmed so that it would create a smaller version of itself in some sort of cold state. It wouldn’t start just yet. Once it’s ready, the big robot configuration of water would transfer all its energy into the smaller configuration and then power down. And then they clean itself up, and then what’s left is this newest state which would then turn on and do the same thing, but smaller and faster.
And then the equation has a certain scaling symmetry. Once you do that, it can just keep iterating. So, this, in principle, would create a blowup for the actual Navier-Stokes. And this is what I managed to accomplish for this average Navier-Stokes. So, it provided this sort of roadmap to solve the problem. Now, this is a pipe dream because there are so many things that are missing for this to actually be a reality. ...
ふぁあああ。
Transformer は
固定桁であろうと学習できることは十分に驚くべき結果だが、 Transformer に夢を持ちすぎるのも違う気がする。ただしこれは「例から一般化できない」ということであって、おそらくは大半のヒトができないことでもある。
古い空き家を格安で買って自分でリフォームしてみた、という Web ページや YouTube チャンネルは思いのほかたくさんある。何より意外なのが、やっている人がなんというか、ガツガツだったりキラキラだったりすることである (キラキラの人はだいたい動画に銀塩フィルム風エフェクトをかけている)。そういうジャンルなの?
車の室内固有の匂いって何が元なんだろう。
降水確率も降水量も、欲しい雨の指標からちょっとずれている感がある。長時間の小雨とにわか雨を判別できてほしい。確率密度 p(t, 時間あたり降水量) をどう料理するかの問題だが、何かいい指標はあるだろうか。
Scaled dot-product attention の scale, 一つ前に線形レイヤがあるのに意味あるのかなと思ったが、 gradient descent の効率には影響するか。まだ常識的な部分が何も分かっていない。
ニューラルネットワークはウェイトを目で確認できるくらいのパラメータ数で試すと、あまりうまくフィッティングするという印象を持たない。まあだからこそ長いニューラルネット冬の時代があったのだろうけれど。
Decoder-only Transformer もパラメーター数が少ないところで試しているとぜんぜん印象が良くない。私だったらこんなの真っ先に捨てていたと思う。この可能性に気づけたのはすごいなあ。
202508400 ポイントはある意味で「常連だから安くする」的なやつをシステム化したものではないか。インターネットが風穴を開けたはずの場所に、古くさいと思われている風習の焼き直しを持ち込むのは最近よくみかける気がする。
ポイント云々が煩わしい身からすると、素朴に安い価格で売る店より、少し高くしてポイントをつける店に消費者が流れるというのは意外なのだよな。
もちろんポイントにすることで次も自店で購入される割合が高まるので、大きく値引きできる。同時にこれは緩い囲い込みであって、大局的には消費者が損をしているのではないかと思う。そうでもないのかな。
まあ難しいことはよく分からないが、とにかく私はポイントが嫌いだ。
Backlinks: [202508401]
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Transformer の原論文では「embedding と pre-softmax linear transform (最後のデコーダー出力の部分だよね?) でウェイト行列を共有している」と書かれているのだが、そうなっている実装が見つからない。意図的な変更なのか見落としなのか。言語モデルのアーキテクチャとしては両方使われているみたいだが。
torch.dotとtorch.mmとtorch.mvとtorch.bmmとtorch.matmulを比較する #Python - Qiita
混沌。もしかして: tensordot, einsum.
「社会を良くするために、皆が政治に関心を持って投票に行くべき」という主張にはずっと違和感がある。対象が何であれ、関心を持って学んだり行動したりすれば世の中はたぶんちょっと良くなる。政治にだけ「すべての」人が関心を持つべき、というのはよく分からない。「政治はすべての人に影響するから」といわれるが、それは政治に強い関心がある人の視点ではないかなあ。サイエンスもテクノロジーもアートもたくさんの人に影響する。
人の時間や興味の対象は有限である。それを何に振り分けるかはある程度個人の自由だし、社会を変える唯一の方法が政治や投票なわけでもない。というか、本当に変えたければ具体的な問題に直接アプローチすべきだ。時間がなければ NPO に寄付するといった方法もある。「政治と距離を置く」という生き方は推奨されないにしても、許容されていいと思う。それは社会問題から目を逸らすということにはならない。
「キツツキって脳震盪を起こさないのかな」と思ったが、これは研究課題になるような疑問ぽい。
森の中で鳥の鳴き声やキツツキの「カカカカッ」という音はかなり残響を伴って聞こえる。何故なんだろう。葉っぱがたくさんあるとむしろ音を吸収しそうなものだ。
上向きでボールペンを使うと思った以上にすぐ書けなくなる。表面張力である程度インクは出てくるかと思っていた。
Open System for Earthquake Engineering Simulation - Home Page
xara
Web 上に何か書くとき、「詳しい人の目に入ってアドバイスくれないかな」という気持ちと、「ずっと専門家に見られていたら書きづらいし疲れるな」という気持ちの両方がある。
「暑い」と思うときの気温と、「寒い」と思うときの気温に整合性がない。
何か厄介な話題があったとして、それを話題に出すのがタブーになったりマナーになったりするのは最悪の結末だと思う。
Google Location History の Web UI, なくなってしまったのか。ううむ。
Google のアプリやサービスってなんかこう、ソフトウェア版イオンモールという感じがする。
Google Map で「メキシコ」と入力すると国のメキシコに飛んで、「メキシコ料理」と入力すると近くのメキシコ料理店を表示する。これってすごくないかな。場所名を検索したいか、あいまい検索で周辺の店を調べたいかをクエリから判断できる気がしない。
それは本当に便利か? explicit に指定できた方が便利では? という疑問はある。
米のように価格によって需要があまり変動しない物は、需要と供給のバランスが崩れると必然的に価格が大きく変動するのだな。
TeX tuneup 2021: 7年ぶりの TeX アップデート | ラング・ラグー
閉所が苦手なので狭い場所が落ちつくという感覚は分からないが、だからといって四面ガラス張りの部屋で落ちつけるかというと、たぶんそんなことはない。開放感と落ちつく感じは完全に相反するわけではなく、ある度両立できそうな気がする。
建築物には 1000 年単位の歴史がある。このあたりの知見は十分に蓄積されているはずだし、ほぼ 100% の人が何らかの建築物に住んでいるわけで、一般向けの情報がまとまっていても良さそうなものだが。
「解析的に書ける」という言い回しが物理あたりの方言なのか一般的な言葉なのかよく分かっていない。 closed-form と言っている分野もある。これも方言かもしれない。
Closed-form expression - Wikipedia
Wikipedia に closed-form と analytic の表があるが、実際にはこんな厳密な使われ方はされていないだろう。でも書き方からしてやはり analytic は一般的でない気がする。 analytic function とか意味が紛らわしくなるし。それを言ったら closed form も微分形式と紛らわしいか。
LLM に使われているトークナイザが数字を中途半端に分割するという話はよくみる。数字をつねに分割する修正は簡単なわけで、あえてそのままにしている、つまり変な分割の方が性能が良いということだと思うのだが、なぜに。
Helix Editor の移動系コマンドは選択を伴う場合とそうでない場合がある。単語末まで削除は wd だが、行末まで削除は vgld とする必要がある (gl = $ on vi)。この一貫性のなさは選択 → アクションモデルの弊害に思えるが、このモデルのメリットがまだよく分からない。
strongly-typed-thoughts.net
Why Kakoune — The quest for a better code editor
マルチカーソルで真価を発揮するということなのかな。どのみち v が必要なら vi 方式の方が一貫性を保ちやすそうな気がするが。
構造力学にまでオイラーの名が出てくるのか (オイラー座屈)。
世の中にはびこる似非ジャズに苦言を呈している人がいた。ちょっと分かるなあ。苦言を呈される側として分かる。耳が痛い。
ジャズ「風」にするのは少し知識があれば簡単にできて、それでいて表面的には高級感が出せる。ついやってしまいがち。本気でジャズに取り組んでいる人にとって、そういう安直なジャズ風アレンジは不快だろうし、「本物のジャズを聴いてくれ」という気持ちにもなるだろう。
まあでも、ジャズ風アレンジが簡単なのは、コード・テンション・スケールといった形で理論を整理したジャズの功績でもある。似非であれ、ジャズの本質の一つを突いているのではなかろうか。
よく「小さな動物が植物を食べて、それを中くらいの動物が食べて…」という食物連鎖の図があるけれど、実際にはあらゆるスケールの草食動物がいる。というか最大の陸生動物のゾウは草食である。
幽霊文字の読み、どこから ― 変換辞書のはなし5 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル
幽霊文字には漢字変換などのために仮の読みがつけられたが、その読みの由来も一部不明になっているらしい。
亮月写植室*写研が動いた日2022 石井書体の改刻プロジェクト
幽霊文字を作字した人は自分が担当した文字だと覚えているんだろうか。何万文字も作業している中でのできごとだから、本人にも自覚がないだろうか。
もし覚えていたら、そろそろ名乗り出て当時のことや後日談を語ってくれたら面白そう。「もっと専門家を入れて慎重に作業すべきだった」という批判はあっても、作業した人やミスそのものが責められることはないと思う。幽霊文字に分類されない原典誤字も複数あるらしいし。一般の人にとってはむしろ面白いネタを提供してくれて感謝である。
Backlinks: [202507306]
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202507202 しかし壁を引っ剥がして筋交いと金物を追加する工事が 150 万円とかで済むのは意外というか、本当? リフォームと同時に行って、耐震補強部分の価格がそれというなら分かるが。
202507201 旧耐震基準の木造住宅って耐震改修工事の補助が全額近く出る (注: 地域による) のか。これは大きいな。こんな言い方をするのはアレだが、何の思い入れもないボロ家を耐震補強して住むというのはあまり心躍る感じではないものの、対費用効果でいえばこれが最適解な気がする。
Backlinks: [202507203]
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空き家を調べてみた第一印象は、「意外と強気の値付けがなされているし、そこそこ売れているっぽい」である。住宅の価値は 20 年もすれば 0 になると聞くし、人口は減少しているのに総住宅数が増加しているとなれば価格崩壊が起こるのは必然に思えるが、実際はそうなっていない。なぜか。
まず、「住宅の価値は 22 年で 0 になる」というのは税金などの法律上の話であり、 22 年経つと市場価値が 0 になるわけではない。次に、空き家率は 10 年以上前から横ばい状態である。さらにいえば売却用の空き家数はもっと前、統計データが残っている 20 年間で値が変わっていない。
なぜか。一番の理由はおそらく世帯数がまだ増えていることである。「人口が減少しているのに総住宅数は増加している」というのはかなりミスリードで、世帯数に応じた住宅数になっているのだと思う。
Backlinks: [202507202]
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日本の可住地を人口で割るとどれくらいの値になるか。
可住地は国土全体の 30 % くらいらしい。これで計算すると…桁を間違えてないかかなり怪しいが、およそ 1000 m^2 になる。一世帯に家一軒として均すと、田園に 15 m 間隔で家が建っているような感じになる。
ヒトの三半規管はジャイロセンサ的な機構を持っているわけではないので、測定できるのは角速度ではなく角加速度だと思うのだが、回転しているのに分からないという体験にあまり覚えはない。たとえば航空機のパイロットにそういう経験はあるんだろうか。
あるらしい。それ以外にも旋回中に頭を動かすとコリオリ効果で姿勢判断が混乱するなど、いろいろ面白いことが書いてある。
「夢がかなった」
「夢がなかった」
「夢ながかった」
Stack Exchange とかをみていると、「X は Y と矛盾しないの?」という疑問は物理で圧倒的に多い気がする。
「家具付き」みたいなノリで「山林 30000 平方メートル付き」とか書いてある。しかし建坪と並べると大きい数字だが、 200 m × 150 m とすれば遮る物がなければ何をやっているか見えるし、声も聞こえる距離ではある。
田舎の中古物件で SDK なる謎の間取り名称になっていることがある。これは台所が土間になっていて、法律上居室と認められないからこういう表記になっているっぽい。
最近のレコメンデーションって、以前よりいいねやスターレーティングのような指標を重要視していない感じがする。実際にはどうなんだろう (もはや単純な線形結合なんてことはないのだろうけれど)。
コーヒーを淹れるとき、ほんの少量でも豆の粉をカップにこぼしてしまうと雑味がぐっと増える。豆自体はおいしくないのに (好きな人もいるかもしれないが)、抽出液はおいしい。つまりコーヒーを淹れるという行為はおいしいとおいしくないを分離する作業であり、残り滓を見ながら「私はこちら側だ」と思う。
202506804 これ、ちゃんと答えるのはけっこう難しいと思う。 Web でも同じような質問は見かけて、「集光側からも黒体放射があって熱浴以上の温度にはならない」と指摘をしている人はたくさんいる。これは一般化した議論から導出できる正しい結論 (というか、ほとんど温度の定義みたいなもの) だが、今は具体的なモデルを考えたときにパラドックスになっているという話なので、回答として不十分である。入射エネルギーを任意に大きくできる (ようにみえる) のに熱浴以上の温度にできない理由を正しく指摘している人はほとんど見つからない。
ただ、その難しい部分が何か熱力学第二法則の本質を突いているわけではない、という点で問題として微妙ではある。いや、熱力学第二法則がミクロな物理法則への制約を与えているとすれば、そうも言い切れないか。むむ。
Resolution of the ellipsoid paradox in thermodynamics
十分に表面積の大きい熱浴と、それに接している系があるとする。熱浴から発せられる黒体放射をレンズなりパラボラ鏡なりで集光する。この集光量は任意に大きくできるので、局所的に温度の高い部分を作れる。これは第二種永久機関である。どこが間違いか。
Backlinks: [202506901]
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そう考えると、宇宙背景放射が発見された経緯が不思議に思えてくる。普通に考えれば 3 K の宇宙背景放射など 300 K ある回路の熱雑音に埋もれる。最初から観測しようと思っていたならまだしも、偶然発見されたとは一体。
202506801 いや、チューニングの合っていないラジオの「ザー」という音、あれはアンテナから拾ったノイズではなく回路の熱雑音なのかな。だとすれば機械的なラチェットと同様、そのノイズに対してダイオードは機能していないだろう。
後者のような気がする。永久機関を発明してしまう人と理解のレベルが変わらないな…。
増幅回路を持たない鉱石ラジオみたいなやつから「ザー」という音が鳴っている状態は、一種の Brownian ratchet ではないのか。
Backlinks: [202506802]
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第一種永久機関詐欺は飽きたので、やるなら巧妙な Brownian ratchet 詐欺を働いてほしい。
「生誕祭」ってもともとは宗教の創始者なんかに使われるような用語で、そのカルトっぽさをアニメのキャラとかに対して自虐的に使ったのが最近の用法の発端だったような気がする。 VTuber なんかが自分で生誕祭といっているとちょっとびっくりする。さらに遡れば普通に使われていた単語で、元の用法に戻っただけなのかもしれないが。
「シケたツラ」 = 「湿気た面」 = 「瑞々しい肌」
単体の食材に熱を加える程度でまずい料理ができることは稀で、味を付けなくても素材の味で十分においしかったりする。これが複数の食材を組み合わせたり複雑な工程を経る料理になると、 (調理が成功していても) 味付けなしではまずいと感じることがけっこうある。料理というのは一旦まずくしたものを調味料で誤魔化す行為なのでは、とちょっと思ってしまう。もともとは味のためでなく保存をきかせるための処理だったりするわけで、あながち冗談というわけでもない。
食べ物を捨てると炎上するが、新製品が出るたびに買い換えるのは「経済を回す」という謎呪文のもと問題ないとされているのは謎であるな。やっている人を批判する意図はないが、後者の方が環境負荷は高い。
逆はどうなんだろう。全人類が食べ物の 1/2 を破棄したら経済は活性化するか。
野菜や穀物が高騰するたびに思うこと。日持ちせず気候に左右される農作物が安定して入手できるということは、平均的には相当な量が破棄されているということでもある。破棄といっても収穫せずに放置、といった形だと思うが。
"wolframalpha.com/input?i="
で検索すると Wolfram|Alpha に入力されている数式が垣間見える。
900 mm ピッチなのは現代の復元だからなのか、実際にそのサイズで作っていたのか。 1 yard も 914.4 mm だし、そんなに良い数字なのかな。ヒトの住む建築物の基本単位が似たような値になるのは当たり前といえば当たり前ではあるが、それにしても 1 % の精度で同じになるほどの必然性はあるのか。
水平方向の筋交いのようなものを火打ちという。横架材は建物を支えるため縦方向に太くすることが多いので、普通の筋交いによって発生する力に対しては強いが、火打ちによって発生する力に対しては弱い。意外と弱点になり得る。
枯山水ってもともとは草むしりが面倒な人が考えたと思う。
木を組む『腰掛大蟻継(こしかけおおありつぎ)』/竹中大工道具館ビデオライブラリー(Japanese version only) - YouTube
昔の日本建築は広さにおいていろいろなチート行為をしている。二面に縁側があり、一面に床の間があり、残りの一面は隣の部屋とシームレスにつながっている。
ただ、天井は高くても開口部の高さは低く、ここで狭さを感じないのは意外。
一般公開されている建築 (モデルハウスとかではなく、古民家や明治~昭和初期の邸宅など) をいろいろ見た印象として、「視線の正面だけに大きな窓がある」という状態は容積や窓面積のわりに圧迫感が強い気がする。 1K アパートなんかはまさにこれで、縦長の部屋で短辺に一つだけ窓がある形だと、 10 畳あってもけっこう圧迫感が強かったりする。もちろん天井も低い。閉所苦手勢にはなかなか辛い。
まあ一側面だけに窓がある状態より圧迫感があるかと問われると分からないが、視野中心付近の影響が支配的というわけではないのは間違いないと思う。
「タイムマシンがあったとしたら過去に行くか未来に行くか」という問いの答えは、調査によって割合に差はあるものの、一貫して過去の方が多い。個人的には「過去に行きたい人なんて歴史学者か古生物学者くらいじゃないの?」と思っていたので意外だった。
ただ、少し考えてみると、過去に戻るタイムマシンの挙動の仮定が人によって違う気がする。
未来へのタイムトリップに関しても、「将来の自分を見てみたい」というコメントが多くあることから、「未来の自分が別に存在する」という挙動を想定している人がかなりいる。未来へのタイムマシンは物理的に可能であり、挙動に曖昧さはないと思っていたが、 SF 的には複数考えられるのだな。
話が逸れた。 SF 的タイムマシンの考察はともかく、この問いを「過去の世界と未来の世界、どちらを見てみたいか」と捉える人と、「過去に行って今までの人生を変えるか、未来を見ることで今後の人生を変えるか」と捉える人がいるわけだ。
これはタイムマシンの仮定によるともいえるが、最初に「世界に注目するか自分の人生に注目するか」という視点の違いがあって、後から適当なタイムマシンを (無自覚に) 想定している可能性もある。そういう観点からもなかなか面白い質問である。
サウナの整うってやつ、普通の風呂 → 水風呂では起きないんだろうか。
時代とともにやり方を変えて概ね平和なインターネットを享受できているが、これはある意味でゲーテッドコミュニティに籠っているようなものかもしれないと思うことがある (何かのコミュニティに属しているわけではないが)。
/l/, /r/ や /s/, /θ/ はどれくらい違う音という認識なんだろう。たとえば "rice" と "lies" をかけたダジャレはダジャレとして成立しないのか。
小学生三人組がハーゲンダッツとスーパーカップについて議論していた。
自然科学的な視点というものがある。いろいろな物事を自然科学的な視点からみているか、というのは知識や論理的思考がどうのとはまた軸が違って、食べ物の好き嫌いのような趣味嗜好に類するものだと思っている。
面白いのは、自然科学分野の人が自然科学的な視点を持っているとは限らないし、持っていることがアドバンテージにもならない、ということである。分かりやすいところでいえば、自然科学系の研究者でも宗教を信じている人はたくさんいる。宗教を信じている研究者の業績が劣るということはないし、その逆もない。
シロアリはゴキブリ目。
「会ってみたら良い人だった」という話はどちらかというと逆に捉えてしまう。
木造の小学校って 10 m × 10 m の部屋がある二階建てとかだと思うのだが、どういう軸組みなんだろう。
たれをつけていないうなぎの味が知りたい。
wallstat4 と wallstat5 のシミュレーション結果が大きく違う場合がある。うーん。
北向きの大開口窓って意外と快適だったりしないかな。なんでも画家のアトリエでは北側採光が好まれるらしい。直射日光が遮られた南側と北側の光量はどれくらい違うんだろう。
うーん。かなり差がありそう。
天井高 2.8 m 以下の場所を上下二分割したら、上下とも天井高 1.4 m 以下になって床面積に含まれなくなるか。建築基準法に明記されているのか市区町村の判断なのか確認していないが、現実的にこれは認められないらしい (当たり前)。
ただ、天井高制限 2.1 m 以上を満たしていなくても、その部分が床面積に含まれる非居室扱いになるだけではないかと思う。部屋全体で平均天井高が 2.1 m 以上あれば居室扱いできるかもしれない。
まあぶっちゃけていうと、抜け穴を利用してまで法律を厳密に守る意味はあまりない。仮にこういう部分で無理をしなかったとしても、自作小屋的なやつで完全に合法なものは稀だろう。
wallstat で JMA 神戸と JMA 輪島の地震データによるシミュレーションを比較すると、震度以上の差が出る。これはもちろん固有振動数の問題だが、微小変形に対する振動モードと建物の倒壊に影響する振動数には大きな違いがあるらしい。
これはシミュレーションで実際に体感できる。最初の高周期の大きな振動で塑性変形し、地震のピークをかなり過ぎてから低周期の振動によって倒壊する。「え、なんでこのタイミングで倒壊するの?」とびっくりする。
指数関数そのものなのに「指数関数的に増える」といってしまう現象について。
「正則」という単語は理工系の分野でやたらと濫用されている (多くは "regular" の和訳なので、日本語側の問題ではないかもしれないが)。これは造語なのかもともと日本語にある単語なのか。辞書を引くともともとある単語らしいが、青空文庫で検索してみても用例はかなり少ない。
正則 site:aozora.gr.jp - Google Search
名前「まさのり」を除外すると、「正則な教育」というような学校の教育課程に関する用法がほとんどである。しかしこれは「変則」の対義語なのか。現代でも「変則的」はよく使う。なぜ片方だけ廃れたんだろう。
YouTube で履歴をオフにしていると、トップページにおすすめが表示されない。つまり購読チャンネルや Like の情報より、視聴履歴の情報を重視している可能性が高い。
購読や Like は動画を見たうえでの能動的行動であり、視聴履歴より質の高い情報に思える。実際にはそうではない、と。
アクアリウム・テラリウム・プラネタリウム・イクイリブリウム
「物事はかならずバッドエンドで終わる。良い状態である限り続くからだ」みたいな格言がありそうで見つからない。ちなみにバッドエンドは和製英語らしい。
クソ住みづらい家を敢えて設計する建築家の気持ちがちょっと分かってきた。
部屋の主観的広さに関する定量的な研究ってないものかな。主観的広さ V(w, d, h) がほしい。
日本の標準的な天井高では 4.5 畳の部屋ですら min(w, d, h) = h なわけで、主観的な広さがほしいなら増やすべきは h なのかもしれない。
ヨーロッパの古い建築物? の天井はやたらに高いが、あれに実用的な理由はあるんだろうか。開放感があっていいが、それにしても高すぎないか。
長らく放置していた計算複雑性理論の教科書を読み進める。やっとこの分野の (教科書に載るような) 基本的な部分の全体像がつかめてきて、証明方法なんかも少し頭に馴染んできた。とはいえなんというか、間違って大定理を証明してしまいそうな危うさがまだある。
たとえば、つい NP と co-NP を同じものとして扱ってしまったりする。ある NP (でなくてもいいが) 問題を解く決定性アルゴリズムの計算量下限は対応する co-NP 問題のそれと一致する。それを以って「どっちも計算量クラスは同じじゃん」と一瞬思ってしまう。
専門家に P ?= NP 予想のアンケートを取ると P != NP の方が多数派だそうで、理由の深さは違えど素人も同じ感覚を持っていると思うのだが、 NP ?= co-NP についてはどうなんだろう。
追記:
https://www.scottaaronson.com/papers/pnp.pdf
... On the other hand, we could imagine a world where NP = coNP even though P != NP. In that world, there would always be short proofs of unsatisfiability (or of the nonexistence of cliques, Hamilton cycles, etc.), but those proofs could be intractable to find. A generalization of the P != NP conjecture says that this doesn’t happen:
"short proofs of unsatisfiability" が何を指すのか分からない。「unSAT ∈ NP だとすれば、任意の充足不可能な命題論理式の充足不可能性を簡単に (多項式時間で) 証明できる」と言っているのかな。んんそれは正しいの?
初期の無線通信はコヒーラ検波器というまあまあ謎原理の装置を使っている。これで 1000 km を超える通信距離を実現していたって、いったいどんな大強度の電波を発生させていたのかと怖くなる。
楽器メーカーがサンプリング音源メーカーを訴えて阿鼻叫喚になる可能性はないんだろうか。 YAMAHA とかは藪蛇だろうが、物理楽器専業メーカーはそれなりに実害を被っていると思うのだよな。訴えるというとちょっと物騒だが、少し楽器メーカーに還元されてほしい気もする。
LED 信号機が写っている動画で信号機がちらついていることがある。 PWM 制御されているのかと思っていたが、よく考えたら明るさを調節する必要はないし、時分割されている感じでもない。単に平滑化されていない整流した交流が見えているだけなのかな。 50 or 60 Hz だと肉眼でもちらつきが見えるはずなので、全波整流されていると考えるのが自然だろう。
たとえば映画は物語や映像や音楽などが組み合わさって一つの作品になっている。最近はこういう要素を別々に楽しみたいという気持ちが強い。物語を音楽で飾り立ててほしくないし、映像の美しさは物語という背景のない状態で楽しみたい。
決定不能問題ギャラリー (Gallery of Undecidable Problems) - iso.2022.jp
まだ花粉が
外で本を読むと捗るが蚊に刺される。生き血を捧げて学びを得る儀式。
私の考えるインターネットの面白さって、それこそヘンリー・ダーガー的な人でも作品をアップロードする可能性があって、それが地球の裏側にいる縁もゆかりもない人の目に入る可能性があることだった。もうそういうインターネットは存在しないし、たぶん戻ってくることもないだろう。まあ最初から存在しなかったのかもしれないが、そういう雰囲気というか、期待みたいなものはあったんじゃないかと思う。
インターネットが昔より悪くなったとは思っていない。素晴らしいコンテンツは間違いなく増えている。実際のところ我々にはダーガーの作品より、読み手を意識して作られた作品の方が面白いのだ。
北海道で食べて以来、たまにスープカレーが食べたくなる。これって「スープカレー」という存在を知って初めて生まれた感情なのだよな。世の中には自分の知らない感情がまだたくさんある。
身の回りの物がどれくらいの手間をかけて作られているのか、もう少し肌感として知りたい。 100 円の豆腐と 100 円の LSI を比べられるようになりたい。
回転寿司店の味噌汁が異常に高い。映画館のドリンクと同じ商売なんだろうか。まあ本当に 0 から作ったら大豆を発酵させて出汁を取ってと手の込んだ料理ではあるが…。
「コメの価格が高騰しているといっても、食費全体に占める割合は小さくない?」と思っていたが、そうでもなくなってきた。
分子間力のもとは電磁相互作用だが、素朴には 1/r
のポテンシャルを持つ電磁気力によって剛体のようなものが形作られるのは、非常に非自明なことであるな。
たまにマウスカーソルを見失うことがあって、ついにマウスカーソルを追えないほど反射神経が衰えたかと思っていたが本当に消えていただけだった。ちなみに Windows や macOS にはマウスカーソルを見失ったとき用の強調表示機能がある。
剛体の静力学の解は容易に不定になることに気づく。最初はこの不定性の物理的意味が分からなかったが、分かってしまえば何のことはない。
たとえば剛体棒の両端を万力で締めたとき、お互いが受ける力は理想剛体としてのパラメータや物理状態からは決まらない。雑にいえば「無限井戸型ポテンシャルの壁のどこかにいる」という状態。
任天堂は愛されている、らしい。ゲームに疎い人間からするとちょっと不思議な現象にみえる。二次創作などにかなり厳しい会社だし、 Exclusive title はハードとソフトの抱き合わせ販売のようなものだ。それらが悪いと思っているわけではないが、似たような理由で批判されている会社はたくさんある。
3DCG って素人目にはもう十分な品質に達してしまっているんじゃないの、と思うことがある。でも周りを見渡してみれば、 3DCG で再現するのが難しい対象なんていくらでもあるのだよな。
Paganini vs. Rachmaninoff: The ULTIMATE Musical Showdown! (Rach-Pag Fantasy) - YouTube
今日の学び: 「てーじろ」は「T 字路」の訛った読み方ではなく「丁字路」。
ネーターの定理は解析力学が発展する過程で発見 (証明) されたと思っていたが、それよりずっと後も後、一般相対性理論より後らしい。意外すぎる。
The Most Dangerous Building in Manhattan - YouTube
息が白い。
現在の技術の延長線上にある、共通見解的な未来予測がある。たとえばスマホのような小型端末の登場は、その何十年も前から予測されていただろう。
今はそういう既定路線の未来予測ができるものがあまりないな、と思う。高度に成熟したものとまだ限界の分からない未成熟なものが両端にあって、中間にある技術があまりない。
むかし「SNS の寿命は、そのサービスが人と人とを結びつけようとする強さと逆相関する。一番長生きするのは Twitter」という説を唱えていた。合っていたかは微妙なところだ。
WaterwayMap.org - OSM River Basins
分水嶺を挟んでわずか数百メートルの場所に向きが逆の川がある。川ってもっと広い土地から水が集まって初めてできるのかと思っていた。
本州を二分する川、つまり分流して日本海と太平洋の両方に流れ込む川は存在しないんだろうか。
「ひるがの高原分水嶺公園」水分かれ(みわかれ)を見られる【TABITABI郡上】
【塩尻】日本海にも太平洋にもつながる場所! | 海と日本PROJECT in 長野
あるっぽい。なんかガチガチに川岸が固められていてありがたみに欠けるが。たぶん自然状態で安定な存在ではないんだろう。とはいえ一時的にそういう分流があるのは珍しいことではないのかな。
202503601 ぬるっと「基本的に川の下端は海に繋がり」と書いたが、日本に海へとつながっていない川はあるだろうか。あるとしたら下端は湖になっているだろう、ということで調べてみると、たとえば富士五湖のうち 4 つには流れ出る自然河川がないらしい。
千葉県はほぼ海と川に囲われているため、「千葉県は独立した島」というネタがあると知った。そういう県は千葉県が唯一らしい。
「へー」と感心していたのだが、しばらくして「県境に限定しなければ、大半の地域は川と海で分断されているのでは」と疑問がわいた。
これが正しくないことはすぐにわかる。基本的に川の下端は海に繋がり、上端は途切れている。下流方向に分岐するところがないと、陸が非連結になることはない。川はおおむね上流から下流へ、木の末端から根本に繋がるような構造をしている。下→上の分岐 (合流) は無数にあれど、上→下の分岐 (分流) は珍しい。
実際に探してみると新潟県で何か所か見つかった。ただ、これらは人工的に造られたもののようだ (全てかは不明)。
大河津分水路 - Wikipedia
小阿賀野川 - Wikipedia
千葉県境を形作る江戸川も人工的に造られた河川らしい。
日本の川 - 関東 - 江戸川 - 国土交通省水管理・国土保全局
ここまで見てくると、河口から離れた場所での分流はかなり稀な印象を受けるが、
水害を防ぐために分流を整理することも行われたらしい。
湖から複数の川が流れ出ているパターンもあるかと探してみたのだが、いまのところ見つかっていない。これがレアなのはちょっと意外。
Backlinks: [202503602]
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小さな川の河口ってなんかちょっとよい。
過去の全記憶に対する「移動しているときの記憶」の比率が異様に大きい。子どものときなら登下校だったり、旅行なら移動中だったり。もっと移動する人生を送るべきか。
唐突にどうでもいいことを思い出した。何年か前に「警察が張った黄色の進入禁止テープを持ち上げてかいくぐる」の実績を解除したのだった。よく考えたら一生に一度かもしれないレアイベントだったはずで、もっとレアさを噛み締めてくぐるべきだった。
川の始点というのは不明確なものだろうと思っていたが、湧き水といった形で明確な始点がある場合も多いらしい。考えてみると、水の流れが地表で維持されるというのはけっこう不思議なことかもしれない。
地下水を識る【コラム】 | GelK 熊本大学大学院自然科学研究科 地下水環境リーダー育成国際共同教育拠点
出身地域の川には一般車の通れる堤防道路が延々とついていて、それこそ河口からダム湖まで一本道で行けるくらいだった。いま住んでいる地域の川の堤防には人が通れる程度の道路しかついていないところが多い。「川を上りたい」と思ったときに困る。
ホログラムってこんなに恐ろしく非自明なメカニズムの代物だったんだ。レンチキュラーレンズみたいなものかと思っていた。ある意味で現代の VR HMD よりずっとハイテクだ。ちなみに発明者は Gabor Wavelet の Gabor らしい。
自然現象としてこういうことがあってそれを解析したならともかく、工学としてどうやってこんな方法に行きついたのか。動画中で触れられている (36:00) が、 Gabor 自身も意図して発見したわけではないらしい。 Gabor がいなかったら今でも存在しなかった技術の可能性もあるというか、フィルム全盛期が終わるまでに発見されなかったら、永遠に存在しない技術になっていたかもしれない。
2022年版日本建築行政会議「車両を利用した工作物」 | 日本トレーラーハウス協会
金属による本格的な歯車って紀元前からあるんだ。機械式時計が 1300 年ごろ、蒸気機関が 1700 年ごろということを考えると、相当早い感じがする。
目先のことから目を逸らす能力だけが高くなっていく。
「雨の音」として認識しているものは、雨が地面や建物に当たる音である。仮に衝突する物がなかったとして、知覚できるレベルの音はしていないんだろうか。
雨粒の落下速度や密度は状況によって大きく異なるが、たとえば 30 km/h, 100 /m^3 とからしい。
"out of ..." を「... の外」と理解していると、意味を正反対に取り違えてしまうことがある。たとえば "the best out of them" は「それらの中でのベスト」であり、「それら以外でのベスト」ではない。 "out of curiosity" は「好奇心から」であり「好奇心の外」ではない。
これらの例をみていると「... から出てくる」みたいなイメージかと納得しかけるのだが、それはそれで意味が逆になるときもある。難しい。
Rust の CamelCase + snake_case というスタイルの組み合わせはちょっと変則的にみえる。どういういきさつで決まったんだろう。
Game Audio : Deep Dives - Monument Valley 3 - Navigation Pings - YouTube
エンジンオイルは「* km または 1 年」で交換せよとマニュアルに書いてある。この「または 1 年」が謎である。酸化するといった理由であれば、 1 年前に開封した未使用オイルも劣化しそうなものだが、それは問題ないらしい。
Google 検索の結果は、少し専門的 (?) な単語であれば意外なほど SEO スパム汚染されていなかったりする。たとえば「固有値」で検索すると、
誘導サイトが 1 つ引っかかっている以外は概ねまともな結果が返ってくる。スパムサイトが存在しないのかと思いきや、 Bing だとまあまあ酷いサイトが上位にくる。
なんだかんだで Google は「圧倒的にマシ」である。
ただ、スパム汚染の酷くない検索ワードで Google に問題がないかというとそうでもない。最近は小規模なサイトがそもそもインデックスされなくなっていて、情報が存在するのに検索結果に出てこないことが増えている。クロール負荷の問題なのか、ランキングアルゴリズムの計算量の問題なのか、スパムサイト誤判定なのか。
くい丸® 【公式サイト】 打ち込み杭のスタンダード。グッドデザイン賞受賞商品
花粉が収まったので今から春。地面から春が噴出している。
閉所が苦手なので部屋を無限に広くしたくなる。主観的な広さが必要なだけで、物理的な広さは布団と机が置ければいいのだが。
何もしていないのに身体が柔らかくなっていることに気づいた。前屈で余裕をもって指先が床につく。しかしこれ、何もしていないから筋肉量が減っているだけ疑惑がある (そういうことがあるかは知らない)。
エビデンスは重要だと思うが、「エビデンスベースドなんとか」はけっこうな確率でうさんくさい (もちろんまともなやつもある)。
そもそもエビデンス云々が議論になる分野というのは、数値化が難しかったり、実験できなかったり、間接的にしか測定できなかったり、バイアスが取り除けなかったりするからそういう状況なわけだ。それをいいことに怪しげな理論がのさばっているのはアレだが、そこでちゃんとした科学的結果を出すのも簡単ではない。
その結果どうなるかというと、誠実な研究ほど白黒のつかない結果を出し、いい加減な研究ほど「A するといい」といった安直な結果を出してくる。
たまに探査機ボイジャーになったところを想像する。
建築基準法で茶室がやたら特別扱いされているのは何なんだ。
「AI による高品質な論文要約」と称して、アブストラクトをそのまま表示するサービスを作りたい。
しかし (人間が書いた) 論文のアブストラクトって、たしかに役目をうまく果たしていない感はある。アブストラクトを読んで概要が把握できた覚えがない。そもそも論文自体が相当に要約されたもので、それ以上縮めても理解できないだけの話ではあるが。
二郎系と呼ばれる食べ物にデビューし、翌日の胃の状態を鑑みて引退を決意した。
もし母語が英語だったら、時間をかけて他の言語を学んでみようとは思わなかった可能性が高い (ちょっとつまんでみるくらいはしたかもしれないが)。ラッキーだったと思う。
「頭がいい」というフレーズが否定的な文脈で使われることはままある。「将棋が強い」とか「絵が描ける」とか「テニスがうまい」とかが素朴に能力を褒める以外の文脈で使われることはめったにない。なぜか。
まあでも、具体的に「数学ができる」「歴史に詳しい」となればネガティブな文脈で使われることは少ないか。「筋力だけはあるスポーツ選手」が褒め言葉でないのと同じ構造なのかな。
202502300 の結果からは、小規模で自分でずれを直せるなら基礎に固定しない方が良さそうに思えるが、残念ながら強風でずるずると動いてしまう。ざっくり風速 40 m/s で断面積あたりの力は 100 kgf/m^2, 木とコンクリートの摩擦係数は 0.6 くらい。古民家のように重量があって面積の広い平屋なら問題ないだろうが、小屋に毛の生えた程度の建築物ではかなり足りない。
ちなみに中途半端に固定すると今度は横転の可能性がある。地震に対しては軽い方が有利だが、強風に対しては軽さや小規模さが仇になる。
「建前」はもともと建築用語らしい。クイズとして出されたら知らなくても正答できそうだが、今まで考えたことがなかった。
木造建築の壁量や偏心率の基準を知ったあとに角がガラス張りのビルを見ると、「鉄筋コンクリートすご」と思う。
さまざまな建築材の寸法はがっつり尺貫法を基準に作られている。ヤード・ポンド法を揶揄するあなたも尺貫法で作られた建物に住んでいる。 1 フィートはほぼ 1 尺であり、 1 ヤードはほぼ半間である。
1.6: Diffuse Reflection - the Lommel-Seeliger Law - Physics LibreTexts
クローズドになりつつあるインターネットを見ていて最近よく思うこと。昔からある「コネのある人だけがアクセスできる情報」みたいなものは、必ずしも情報を独占したいとか一部の人の特権にしたいとかではなく、「多数の人が殺到してバランスが崩壊するのを避けるための苦肉の策」という面があったのだな。
実際のところ人を絞るシステムというのは大抵そうかもしれない。たとえば大学入試を実施する理由は第一に受けいれ可能人数に限界があるからで、受験に特化して点数が取れる人を採りたいわけではないだろう。考えうる方法の中で一番マシかもしれないが、苦肉の策ではある。
「おすすめ」機能はよくエコーチェンバー現象やらなんやらの原因になっていると言われる。でも本来レコメンデーションは自分の知らない、視界に入っていないものを提示する機能である。なぜ分断を和らげる方向に働かないのか。
「小さな双眼鏡で粒々の分解した球状星団を肉眼視する」という微妙に非現実的な夢を見た。夢ならもっと振り切ってほしい。
ストリングスとしてではない、単体の弦楽器がもっとクラシック以外で使われるといいと思っている。バックグラウンドのストリングスももちろん素晴らしいのだが、(異論を承知のうえで書けば) 弦楽器の表現力を殺している面もある。
物理モデリング音源があともう一息よくなれば…いや、どちらかというと入力の問題なのかな。弓につける張力センサみたいなものがあればいいんだろうか。
国立研究開発法人 建築研究所 -- Building Research Institute --
国立研究開発法人 建築研究所 -- Building Research Institute --
熊本地震と能登半島地震の建築物被害報告。 1981-, 1981+, 2000+ 耐震基準の倒壊率データがある。
フライパンで何かを焼くとき、「蓋をする」というのは加熱に関してどれくらい効果があるんだろう。肉や魚を焼いていて、蓋をしたら上面にも火が入っていたという経験はないような。
壁量に限らず偏心率が 0.3 以下という基準は不思議な感じがする。
wallstat で遊ぶ。右も左も分からない (とくに接合部) が、平屋なら気をつけるのは偏心率くらいで、添付の地震データには問題なく耐える。でも同時に、建物の固有振動数と地震の振動数が一致してしまったら、どう頑張っても倒壊しそうな気がする (注: 気がするだけで試してはいない)。減衰係数の大きいパーツが存在しないような。
人力起振実験による木造住宅の固有振動数に関する研究
9.1 地震計の原理
そして木造住宅の固有振動数と地震の振動数は被っているようにみえる。
人の声でも音楽でも環境音でもない音を欲するときがある。
少なく見積もっても 1 M 歩 / 年 くらいは歩いている。 Boston Dynamics もびっくりの低転倒確率である (変色した打撲箇所を眺めながら)。
水面の反射率は偏光の向きによって異なるので、「水面には違うものが写る物体」が作れる。
針の穴に糸を通しながら、「これを困難なことの比喩にするのはどうなんだろう」と思う。針の穴は糸を通すために作られている。
痛い部分があると、「こんなときにこんな部分に力を入れているんだ」と分かって面白いが痛い。
転んで肩からアスファルトに突っ込んだ。痛い。
よく使われている BRDF 物理モデルが、実際の材質の構造をどれくらい模しているかは怪しい。紙一つとっても実際の構造はたぶん dielectric fiber なわけで、 CG でよく使われるモデルの仮定とは乖離がある。
それが悪いという意味ではない。ある物理モデルから出発しつつ、その仮定を超えた材質まである程度フィッティングできる empirical なモデルとして機能している、というのが今の私の理解。
OpenPBR の議論を見る (といっても議論自体は Slack で行われていてそれは見られない。 GtiHub に投稿されているまとめ的なものを見ただけ)。 Disney BRDF v2 として妥当な感じのする一方で、 Surface BXDF はまだ mature なものを標準化するという段階にはない感じもする。
「ええ子盛衰」: 優等生的な子がグレたりすること。
Announcing Rust 1.86.0 | Rust Blog
ヒトの眼の F 値はどれくらいか。
どこが理想レンズ中心に相当するのか不明ながら、焦点距離はざっくり 20 mm くらいか。瞳孔径は明るさによって変わるが、個人差もけっこうあるらしい。 2 mm .. 7 mm として、 F3 .. F10 に相当する。意外とカメラのレンズに近い。
4.2 billion people live inside this circle. 3.8 billion live outside it.
202501401 細かいことをいうと、太平洋切れ目の世界地図には (0) 経度 0 を中心にしたものと (1) 大陸が切れ目から外れるようにしたもの、の二つあるっぽい。
「世界地図は各国が真ん中に位置するものを使っている」という話をたまに聞く。これが事実なのかよく分からない。北を上として、経度方向の切れ目を大西洋に置いたものと、太平洋に置いたものの二つが使われているのは間違いない。その二つ以外をメインに使っている国はあるんだろうか。
ちなみに、オーストラリアで南を上にした地図が使われているというのはガセというかジョークらしい。さらにいうと、ヨーロッパと同じ太平洋切れ目の世界地図の方が主流らしい。ええそうなの? そうなると、大西洋切れ目の地図を使っている国は予想以上に少数かもしれない。英語が公用語のフィリピンとかどっちが主流なんだろう。
もっといえば経度線で開く必要もないが、この向きは天文学的に意味がある。実用上も時差と関係しているわけで、一般的に使われることはないか。
余談ながら、海が主役のときは
こんな地図を使っていた。
Backlinks: [202501402]
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夜中に寝ぼけ眼で「タッ、タッ、タッ」という音を聞いて、「いつも時計の秒針ってこんなに響いていたかな」と思った。水道の蛇口が閉まっていなかっただけだった。そもそもアナログ時計はこの部屋に存在しない。
音色も秒針の機械音とはあまり似ていないのだが、ちょうど一秒に一回くらいの周期だと一瞬錯覚する。ヒトはいろいろな情報を組み合わせて音を認識しているのだなあ。
「絵を描くスキルはないけれど、もし描けたらやりたいことがある」とか、「プログラムを書くスキルはないけれど、もし書けたらやりたいことがある」という人はたくさんいるのだな。
これも一つの才能ではないだろうか。自分にないスキルを仮定して、その応用でやりたいことを具体的に思い描くのはそれほど簡単ではない。自分に一番欠けている部分かもしれないとも思う。
睡眠時間を削るのが健康に良くないのはそうだとして、死ぬまでの総活動時間は睡眠時間を削ったほうが長そうではある。まあ私は寝るけれど。
いつまで経っても定期的に基礎的な計算で穴にはまる (はまっている)。
Web が少しクローズドな方にシフトしているように、プログラムのソースコードもクローズド側にシフトするのではないかと思うことがある。
ギターだとコードトーンのつながりが悪くてもあまり気にならないのは何故だろう。たとえば IIm7 IIIm7 VIm7 を全部並行にスライドさせて弾いても他の楽器ほど違和感がない。間に長めのミュートが入るからか。つまり下手くそだからというだけの可能性がある。
専門的な内容を一般向けに解説した書籍って、自分がよく知っている分野のをちら見すると「読者が素人だからって内容を誇張しすぎではないか。もっと地に足のついた説明をした方がよいのでは」などと微妙な感想を持つことが多いが、あまり知らない分野のを読むと「ほえー。面白いなー」と素直に感心してしまう (誠実に書いてあるのかもしれないが)。
Web で好きなコンテンツの一つは日記・雑記的なやつである。絶滅したと思われている節があるが、検索にかからないだけで細々と書いている人はけっこういる。これは最近気づいたことだ。
見つける方法はない。
「本音と建前を使い分けよ」という人をみるとたじろいでしまう。もちろん思ったことを全部そのまま口に出していいと思っているわけではないが。
お絵かきソフト「Aquamarine Painter」を作ってみた
平均の公理として適切なものはなんだろう。
f(x, x) = x
.f(y, x) = f(x, y)
.f(k x, k y) = k f(x, y)
.x < y ⇒ f(x, z) ≦ f(y, z)
.それっぽくはあるが、過不足ないか分からない。あと、スケール不変性はたとえば asinh((sinh(x) + sinh(y)) / 2)
みたいな関数では成り立たない。こういうのを許容したい場合もあるかもしれない。そもそも定数倍が定義されない場合もあるか。
Web にやたら冗長な文章がはびこっていることで、自分の文章が不必要に冗長になっていないか妙に気にしてしまう。
あの冗長な文章は滞在時間を引き伸ばして検索ランクを上げるためのテクニックである (たぶん)。「ネットでは四行以上は読まれない」とよく言われていたことを考えると、「いかがでしたか」まで読む人がたくさんいるのは意外でもある。
ザッカーバーグやよく分からん投資家の撤退後も VR HMD を作り続けるメーカーはあるだろうかと懸念していたが、それは杞憂になりつつある気がする。
ある領域のエキスパートでも、そのちょっと外の領域で初歩的な間違いを犯すことはよくある。だからといって「専門外のことについて発言するのは控えよう」となるのはおかしい。それは普通のことなのだから、初学者と同じ立ち位置でどんどん間違えて学んでいける雰囲気であってほしい。
202500600 こういうのって気づいた直後は興奮するが、一日経つと常識になる。
ただ、 x = 0
の真ん中が幾何平均なのは依然として直感的でないというか、少し意外な感じがする。
min(a, b)
と √(ab)
をつなげる mean はなんだろう。
間に調和平均を挟んで
lim[n→∞] [(a^-n + b^-n) / 2]^(-1/n) = min(a, b)
こうか。つまり、
f(a, b; x) = [(a^x + b^x) / 2]^(1/x)
で全ての平均はつながっている。きれいな関係だ。調べてみると、これはヘルダー平均というらしい。
Backlinks: [202500601]
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2017 年の本 (執筆時期はたぶん 2010 年くらい) を読んでいたら、物の値段の感覚が思った以上に今とずれていてびっくりした。相対的な高低もかなり変わっている。調べてみると、 2010 年あたりは消費者物価指数が極小値だった時期らしい。
Web では「〇〇は素人の自分でもできますか?」という質問に対して、「X やら Y やらがうんぬんかんぬんで素人がやるのは危険。プロに頼め」みたいなアドバイスが多いのに、家のセルフビルドに関しては「大丈夫。問題なくできるよ」みたいなページが多くて笑ってしまう。知識も技能も 0 から家を自力で建ててしまう人というのは、それくらい楽観的で失敗を楽しめる人ということなんだろう。
セルフビルドの話を読んでいると、「いずれ自分も家を作りそう」と思う。「いずれ」とか言っている時点でアレな気がするが。
しかし自分に向いている (もの作り) 部分とまったく向いていない部分 (土地購入) が両極端だ。やるとしたら土地選びも建築も一回失敗する前提でいきたいが、自分で手を動かす範囲外のところに後戻りの難しい要素がいくつかある。土地は確定させないと難しいかなあ。つまり「ここにずっと住みたい」という土地を見つけないと性格的にも決断できなそうだが、そんな未来は見えないな。
人が亡くなった時点で写真や日記が残っていることはたぶん多くて、でも曾祖父母世代の遺品が残っているという話はほとんど聞かない。 3 世代もすれば歴史の資料になり得るが、逆にいえば資料になるくらいめったに残らないということでもある。
現代だと例えば、自分のものをまとめた Web サイトを作って、「このサイトをずっと残してくれ」と言い遺して亡くなり、数か月後にはあっさりとサーバー料金延滞で消える、みたいなことはありそう。悲しい気もするし、それが健全だという気もする。
私たちは旅行に行ったとか何かの記念日だとか、そういう特別なときに写真を撮る。でも、たとえば数百年後に歴史の調査で写真が発見されたとして、資料として欲しいのは何の変哲もない日常の写真だと思う。
これは実際のところ、自分自身にとってもそうではないか。一生に一度しか行かない場所の写真はあっても、自宅の写真が一枚もない、ということは普通にあるわけだ。自分が N 年前に毎日どういう生活を送っていたか、たぶん忘れていることがたくさんある。
ということを考えていたのだが、私はそもそも自分の記録として写真を撮っていないな。
山奥に DIY で家を作っている人の動画を見た。土地を開墾することの大変さを知ると、「先祖代々の土地を守る」的な考えも少しだけ理解できる気がする。その土地は単なる区画ではなく、複数世代に渡って膨大な労力をかけて作られた作品なわけだ。
ヒトが物を持ち上げて静止しているとき、素朴な力学的意味でのエネルギー消費はないが、実際には筋肉がかなりのエネルギーを消費している。このメカニズムは単純ではなく、ちゃんと考えるには筋肉の構造に踏み込む必要がある (らしい)。
見方を変えて、モーターで駆動されるロボットのエネルギー消費はどうなっているだろうか。モーターの回転を力学的に止めると逆起電力が 0 になり、コイルを含めた回路の内部抵抗にすべての電圧がかかる。単純に電池をモーターに繋いでいるとき、回転を止めると電力消費はむしろ最大になる。
もちろんの実際のロボットは静止時に最大のエネルギーを消費するわけではない。電流に比例したトルクが発生するため、持ち上げた物を静止させるには、トルクが釣り合うところまで電圧を下げて制御することになる。
工学的な最適解がヒトの美的感覚と一致するとは限らないと思うが、個人的にはやはり装飾美より機能美に惹かれてしまうなあ。
しかし冷静にみると、高性能な工業製品はごちゃごちゃと複雑な構造をしていることの方が多い気はする。現代のコンピュータが美しいか? 局所的に美しい部分はある。全体としては汚物だ。
ジェット旅客機の主翼って昔はわりと直線的なデザインだったと思うのだけれど、ふと気づくと独特の機能美を感じる曲線的な形状になっている。